臨床研修
3日目 診療の実践
午前0時半に目覚ましで起きる。眠い目をこすりながら診察室に行き、上のDrと引き継ぎ。前日の雷雨のせいか患者さんは少ないようなので、学生さんにも就寝してもらう。
今日は登ってくる人が少ないのかなー、と外の様子をうかがうと、そこにはかなりの人が。
雷雨を五合目などで避けていた人たちがぞろぞろと登ってきはじめるところだった。
これは、忙しい夜になるぞ…と思ったら、その予感は的中してしまうことに。
午前1時頃、最初の患者さんが。20代男性、気持ち悪くて動けない、という。ベッドに寝てもらい、酸素マスクを付けたところで次の患者さんが来所。こちらも20代男性、八合目山小屋に宿泊中だが、頭痛が酷くて眠れない…
こんな感じで次々と患者さんがやってくる。頭痛のみの人から、嘔吐して歩けなくなる人まで。最初のうちは全員ベッドに寝てもらい酸素を吸ってもらっていたのだけれども、気分が良くなる前に次の患者さんが来所、といっ具合。一時は狭い診察室に患者さんが6人もいる事態に。ベッドはあいにく2つしかないし、一度に使える酸素ボンベは2本までなので、少し気分が良くなったら励まして下山してもらう。元気そうな人はSpO2を測った上で深呼吸することを指導し、下山の指示。吐き気を訴える人には(あまり効かないけれど)プリンペランやナウゼリン…
あたふたと患者さんの対応をしていると、午前4時頃にはどうにか新規の来所は収まった模様。幸い重症な患者さんはおらず。
診療所の窓から顔を出すと、ちょうどご来光が。
午前6時頃、朝食が配達されて食事。食事後、今度は上のDrが、山岳パトロール隊の人と山頂に向けて出発。診療所はしばらく、自分と学生さんの2人体制に。こうなると、現場の「医師」は必然的に自分ということになる。
ただ、こんな時に限って難しい症例が入ってくる。
一人目は、30代男性。九合目に登る途中、気分不調で意識がもうろうとしたとのことで、仲間に抱えられて来所。SpO2は(末梢が締まっていたせいもあるだろうけど)なんと47! 急いでO2 10Lマスク。しばらくすると意識が戻ってきたので、ダイアモックス内服のうえで、直ちに下山するように指示。
二人目は、胸痛を主訴にした60代の男性。今までに心イベントの既往はない、とのことだけれども、「胸が押しつけられるよう」「重苦しい」などと、国試に出たら狭心症に丸をつけたくなるような訴え。もっとも、高山病の症状としても胸痛が出ることがあるようなので、鑑別が必要になる。なんでこんな時に限ってこんな症例が来るんだー、と思いつつも、ここには医師免許を持った人間が自分しかいないので、自分で判断を下さなければならない。
ともかく、酸素を5Lマスクで投与。心電図ないし、アスピリンどうすんべ、等と考えていたら、胸痛は収まってきた模様。「ここでは詳しい検査ができないので、下に降りても胸が痛かったら病院にかかってください。これ以上登ると胸の痛みは酷くなるばかりなので、降りられなくなる前に下山した方が良いですよ。」と説明すると納得してくださり、「また来年来ます」と笑顔で下山されていった。
三人目は、往診の依頼。
「いま九合五勺にいるのですが、肩を脱臼している人がいて動けないんです」
いや、そう言われても診療所を空けるわけにはいかないし…って、ちょうど上の先生が頂上にいる!
携帯で連絡を取って、往診の依頼。無事に患者さんと落ち合えたようで、まずは鎮痛剤内服させて、診療所まで運ぶ、とのこと。
1時間後、先生と患者さんが診療所に到着。酷く痛がっているので、まずはペンタジン1A筋注。その後で整復を試みるも、疼痛が酷いため断念。ここでの治療は困難と判断し、富士宮市立病院へ搬送することに。
もっとも、搬送するとはいえ交通手段のない富士山。ブルドーザーによる搬送は「生死に関わる場合」のみであるため、今回は不可。ボルタレンを内服の上、自力下山とする。
患者さん・同行の人・山岳パトロール隊の方(2人)、自分の5人パーティで下山開始。所々で休みながら、ゆっくりと下山。救急車を手配し、富士宮市立病院に救急搬送を要請。病院に電話をかけると、たまたま電話に出たのが同僚の研修医。顔見知りなので、話がスムーズに進む。小さい病院はこういうときに助かる。
17時頃、患者さんを新五合目で救急車に収容し、自分も同乗して一路富士宮市立病院に。当直の研修医に引き継ぎをして、波乱に満ちた富士山診療所研修が終了した。